01

異国の古いことわざに、こんな言葉がある。
『恋愛と戦争は手段をえらばない』
まったくの両極端にあるようで、事実このふたつはよく似ている。
狂気というものを含んでいる点に於いて。


*****


 満月の光に照らされて、死んだ肉が浮かびあがる。
 シェルロット国の首都、セピルアートの周りを取り囲む平原、常ならば春の息吹を感じさせる緑で覆われた美しい平原だが、 二日前からどす黒い赤に濡れている。空から見れば、ふたつの陣営の白いテントの間に赤い河がのたうち流れているようにも見えるだろう。 その一方の陣営で、男がひとりつぶやいた。
「やばいよなあ」
 褐色の肌と赤茶の髪を持つ背の高い青年だ。幼さを少し残した精悍な顔立ちをしていて、名をジノ・クラウスターという。 身に付けている甲冑は隅々まで黒く塗られ、左胸元の騎士の称号である百合の花だけが清らかな白で描かれている。
「やばいよなあ」
「お前の顔の話か?」
 青年の隣に座っている少女が、呟きを耳にしてそう訊ねる。 青年が憮然とした顔で「ちがう」と否定すると、彼女は眉を軽くあげて目線を手元の剣に戻した。
 顔立ちは可憐、というよりも研ぎ澄まされたナイフのような、どこか中性的な面持ちの少女だ。 長い黒髪を高い位置でひとつに纏めており、青年よりも身軽で華美な白い甲冑を身に付けている。 年はジノよりもふたつ下だが、その女らしい丸みがあまりない華奢な体格のせいで十八という実年齢よりも少し幼く見えることは、本人の密かなコンプレックスである。
 名をシャーネという少女は黙々と、剣に付着した血のりを布で落としながら沈みつつある夕日に目を細めた。


 夜が明けたと同時に総攻撃がかかるだろう――勝機は……果たしてあるのか。

 元々、いささか分の悪い戦だった。向こうは五千を越す軍勢だというのに、 こちらは三千弱。
 それでも勝てる見込みはあったのだ。 大陸一ともいわれる優秀な騎士団と騎馬隊を有しているのだから。 それなのにまるで赤子と大人の喧嘩のように苦戦を強いられているのは、こちらの戦略を見通すように打つ手打つ手に先回りをされているからに他ならない。
 当然のように士気は落ち、シャーネ自身もまた焦りと苛立ちを募らせていた。
 戦略は彼女が立てている。 一見奇抜に見えるが理に適ったそれは今までも数々の戦場を勝ち抜いてきたのに、 今日に限っては全く通用しない。
 八百いた騎馬隊は先ほどまでの戦闘で半分以下の人数に落ち、 同数の馬もただの肉となってしまっている。現時点での両者の数は、三千強対千五百。 こちらには騎士団がまだ残っているが、歩兵は向こうと違って素人ばかりだ。
 五分五分とは、 お世辞にもいえない戦力の差に思えた。


「革命軍にはよっぽど頭が回る奴がついているらしいな。それとも預言者でも雇ったか」
 ジノはシャーネの手から剣を取り上げると、残っていた血のりを己の服で一気に拭った。
「そんな者がいるならもう勝ち目はないことになる。嫌なことを言うな」
「けどやれるだけのことはやったさ。おれも、勿論おまえも。そんなに落ちんなよ」
「……だからといって、死んだ者に報えはしない」
「おれが行って謝ってこようか。この分だと明日かな」
「冗談でもそういうことを口に出すな」
 シャーネが低く声を荒げた。白い頬が僅かだが怒りに紅潮している。
 ジノは苦笑して肩をすくめ、悪いと謝罪の言葉を口にシャーネの頭を軽く撫でた。子ども扱いをされているような仕草に跳ね除けようとも思ったが、節ばった手があまりにも暖かく、結局シャーネはじっとしたまま目だけを忙しなく左右に動かす他なかった。
 幼い頃はこんなことで鼓動が早くはならなかったのに、と少しの不思議と居座りの悪さを感じてそう思う。いつのまにジノの手はこんなにも広くなったのだろう。背だって昔は自分の方が高かった。
「知ってるだろ? なんで騎士団の甲冑が黒いかさ」
 なぜ今そんなことを、 とシャーネは訝しげに眉をひそめる。
「知っているが、それがなんだ」
「だって騎士の甲冑が黒いのは、 いつ死んでもいいようにってことだろ。喪服がわりってやつ」
「……誰から聞いてきたんだ、 そんなでたらめ。騎士団は王直属の精鋭部隊だ。 そんな縁起の悪い理由で甲冑を黒くするわけがないだろ」
「そうなのか? くそ、ダールの奴にだまされた」
「だまされるお前が莫迦なんだ。いいか、騎士の甲冑が黒いのはな」
 シャーネが少し高飛車にそう言い掛けたとき、彼女の腹の虫が盛大に鳴った。決まりが悪そうに瞬時に顔を赤くしたシャーネを見てジノは腹を抱えて笑い転げ、それから目元の涙をわざとらしく拭きながら、夕飯をもらってくると腰を上げた。
 腰に下げている二振りの長剣が揺れて、キシリと音を立てる。
 戦場にふさわしい、軋んだ音だった。






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